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Channel: 金さんの川柳・絵画・音楽
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金さん名画座・『人間の條件』仲代達矢/新珠三千代/淡島千景/有馬稲子

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『人間の條件』
出演 仲代達矢/新珠三千代/淡島千景/有馬稲子/佐田啓二/山村聡/石浜朗/小沢栄太
監督 小林正樹          音楽:木下忠司
 
1959日本映画。全6部構成で、1/2部は1959年(1月)、3/4部は同年(11月)、5/6部は1961年に公開された。五味川純平の同名小説の映画化。主人公の梶を通して戦争における人間性を描いた作品。第23回ヴェネツィア国際映画祭/サンジョルジュ賞(銀賞)/パンネッティ賞(映画批評家賞)。 当時の多くのスター俳優/女優をキャスティングした大作映画。全6部の総上映時間は9時間31分に及び、製作当時は商業用映画としては最長の長さであり、ギネスブックにも掲載されていた(邦訳版では1980年版まで)。また、本作の全6部を一挙に上映したことが、日本の映画館でのオールナイト興行の走りといわれている。テレビでは、1979年1月2日に東京12チャンネル(現・テレビ東京)が開局15年記念事業としてこれら6部を12時間ノーカットで一挙に放送した。これが12時間超ワイドドラマ開始(1981年)の嚆矢にもなった。今年8月15~20日にかけて、NHKBSプレミアムにて本作映画、全6部を一挙に放映予定。
 
「人間の條件 第1・2部」昭和18年の満州、梶と美千子の夫婦をのせたトラックは老虎嶺鉱山に向けて走っていた。満鉄調査部勤務の時に知合い結ばれた二人は、友人影山の勧めで労務管理の職につく梶の任地に行くのだ。戦争に疑いをもち、妻を愛する梶が、召集免除を条件に自ら選んだ職場が、そこに彼を待っているはずだった。しかし、現地人の工人達を使って苛酷な仕事を強いる鉱山の労働条件は、極度に悪かった。現場監督岡崎一味の不正に対抗し、同僚沖島や部下の現地事務員陳の助けをえて、梶の苦闘がつづく。折から上部より二割緊急増産の指令とともに、北支から六百名の捕虜が特殊工人として送りこまれてきた。半死状態の捕虜たちは電流を通じた鉄条網の中に入れられ、労働意欲をかりたてるためと称して娼婦をあてがわれた。工人の高と、娼婦楊春蘭の愛が芽ばえたのは、そんな条件の中でだった。一方、朝鮮人の張命賛は、娼婦の金東福を使って、工人を脱走させる仕事で甘い汁を吸っていた。真面目な陳を金東福の色じかけで手中に入れ、弱点を握って鉄条網の電流を一定時間とめさせるのだ。牟田や古屋が日本人側からこれに加担していた。特殊工人と話し合って、現状での最善の状態を作ろうと努力し、梶は二割増産を達成させた。しかし、楽しみにしていた美千子との休暇は、張一味による脱走事件の発生で中止となった。張一味と結んだ古屋は、梶をねたんで再度の工人脱走を企てた。だが、陳は良心の苛責から、三千三百ボルトの電流の通じる鉄条網に自ら身を投じて死んだ。現場監督岡崎の非人間的な態度は、特殊工人の反感を買い、ある時、高をはじめとする七人の抗議事件をひきおこした。憲兵軍曹渡合の手で、七人は日本刀による斬首の刑に処されることになった。一人、二人と残虐な処刑が進行するうちに、それを見る梶の心理は激しく動いた。特殊工人たちの喚声の中で、遂に梶は「やめてくれ!」と声をあげて叫んだ。処刑は中止された。しかし、そのあとには、軍部に反抗を企てた梶に対する、恐るべき憲兵隊のリンチが待っていた。そして、半死半生で釈放された彼につきつけられたのは、現職免除の命令と、臨時召集令状だった。THE END

金さん名画座・『肉弾』寺田農/大谷直子/天本英世/伊藤雄之助/小沢昭一/田中邦衛/笠智衆

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『肉 弾』
出演者 寺田農/大谷直子/天本英世/伊藤雄之助/小沢昭一/田中邦衛/笠智衆/北林谷栄
監督  岡本喜八         音楽 佐藤 勝
 
1968年に公開された日本映画。岡本喜八監督の代表作でもある。「肉弾」をつくる会、ATG製作、ATG配給。116分の白黒作品。「あいつ」と呼ばれる主人公の、孤独な戦争を描く。企画当初は映画会社が制作費を出さず、監督の夫人の岡本みね子さんがプロデューサーとなって二人三脚で地道に制作費を集め、制作にこぎつけた。音楽も佐藤勝に依頼したが収録するスタジオなども用意出来なかったため、他作品のBGMを収録している合間にこっそりこの映画の録音した、とも言われている。大谷直子さんは岡本喜八監督の『肉弾』(1968年)の高校在学中に一般公募に合格し、スクリーン・デビューを果たし、1969年に、テレビドラマ『信子とおばあちゃん』で人気を博し、スター女優となる。
 
昭和二十年の盛夏。魚雷を脇に抱えたドラム缶が、太平洋に漂流していた。この乗組員、工兵特別甲種幹部候補生のあいつは、まだ終戦を知らなかった。あいつが、ここまで来るには可笑しくも悲しい青春があった。演習場のあいつ。候補生たちは、みな飢えていた。あいつは、めしと死以外を考える余裕はなかった。乾パンを盗んで裸にむかれたこともあった。それから、広島に原爆が落ち、ソ連が参戦した。そして予備士は解散され、あいつら候補生は特攻隊員にされた。一日だけの外出を許されたあいつは、無性に活字が恋しくなって古本屋へ行った。だが、活字で埋った本は、電話帳だけだった。そこには、B29に両腕をもがれた爺さんと観音さまのような婆さんがわびしく暮していた。あいつは、やりきれなくて焼跡の中の女郎屋に飛込んだ。けばけばしい女たちの中で、因数分解の勉強をしているおさげ髪の少女が、あいつに清々しく映った。だが、あいつの前に現われたのは、前掛けのおばさんだった。再び雨の中へ飛出したあいつは、参考書を待った少女に出会った。なぜか少女はついて来た。やがて二人は防空壕の中で結ばれた。翌日のあいつは、対戦車地雷を抱えて砂丘にいた。少女、古本屋の老夫婦、前掛けのおばさん、そして砂丘で知りあった小さな兄弟とモンペ姿の小母さん。あいつが死を賭けて守る祖国ができた。その夜の空襲で少女が死んだ。それから、作戦が変更されあいつは魚雷と共
に太平洋に出た。あいつは、少女を殺した敵をじっと待ったが、敵機の機銃掃射を受けて、彼のメガネは飛び散ってしまった。日本は敗けた。だがあいつはある朝、大型空母を発見した。あいつは執念をこめて九三式魚雷を発射したが、魚雷は泡をたてて沈んでしまった。それから間もなくあいつは、空母と錯覚したし尿処理船に助けられ、終戦を聞かされた。それから二十年余、海水浴客で賑わう同じ海に、ドラム缶が浮いていた。その中で、あいつは、いまだに怒号していた。THE END

金さん名画座・『史上最大の作戦』ジョン・ウェイン/ロバート・ミッチャム/ヘンリー・フォンダ

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「史上最大の作戦マーチ」 ミッチ・ミラー楽団
『史上最大の作戦』
出演者 ジョン・ウェイン/ロバート・ミッチャム/ヘンリー・フォンダ/エディ・アルバート/リチャード・   バートン/クルト・ユルゲンス/ロッド・スタイガー/ジェフリー・ハンター/ポール・アンカ
監督 ケン・アナキン(イギリス)/ベルンハルト・ヴィッキ(ドイツ)/アンドリュー・マートン(アメリカ)
音楽  モーリス・ジャール
 
1962年のアメリカ映画。第二次世界大戦における連合国軍のフランス・ノルマンディー海岸への上陸作戦「オーバーロード作戦」を取り扱った戦争映画。アメリカからジョン・ウェインやヘンリー・フォンダらが参加した他、英仏独からも豪華キャストを迎え、40億円以上の巨費を投じた、当時としては「史上最大の」映画。連合国側だけでなくドイツ側の視点でも描いているドキュメンタリー風の映画で、臨場感に溢れている事で評価が高い。地味で日本人にはなじみの無い原題『一番長い一日』を、当時FOXの広報を務めていた水野晴郎が「史上最大の作戦」と意訳した。アカデミー賞では5部門でノミネートされ、そのうち撮影賞、特殊効果賞を受賞した。
 
1944年6月4日未明セーヌ河の湾曲部にあるドイツ西部軍B師団司令部で、司令官ロンメル元帥は家族の許へ帰ろうとしていた。連合軍の大陸侵入作戦を知らないわけではなかったがここ数週間は悪天候だし防御は完璧だった。同じ南部イングランドで300万近い連合軍を指揮するアイゼンハワー最高司令官は上陸作戦の日--D・DAYを決定しょうとしていた。遅い月の出と夜明け直後の干潮という絶対条件の揃うのは6月5~7日の3日間だが、英仏海峡は大しけが続いていた。5日は取り消され延期するとなれば19日か7月まで待たねばならない。最高首脳部会議は気象部員からの詳細な報告に基づき6日をD・DAYと最終決定した。フランスのレジスタンス向けの暗号放送は盗聴されたがヴェルレーヌの“秋の歌”が上陸作戦の開始を告げるものであることは覚えられなかった。5000雙からなる大船団はノルマンディへ南下し午前零時15分、米軍空挺部隊の降下から上陸作戦の火蓋は切られた。5時半の海上からの攻撃開始を西部軍総司令部が知ったのはその30分前、情婦エヴァの側にあったヒトラーやヘルリンゲンの自宅にいたロンメルが知ったのは5時間後だった。防御陣地は判断を誤った作戦会議のために殆ど無用の長物と化したが、激浪に苦しめられてきた連合軍を海辺に釘づけにして多大な損害を与えた。しかし物量を誇る連合軍は内陸深く侵入し上陸舟艇はノルマンディの海を覆った。“上陸作戦の最初の24時間は決定的なものになるだろう--この日こそ連合軍にとっても我々にとっても一番長い日になるだろう”とロンメルに言わせた6月6日は史上最大の作戦をもった連合軍の圧倒的な勝利に終わり、ナチス・ドイツが崩壊し去る運命の日になった。THE END

金さん名画座・『戦争と平和』オードリー・ヘプバーン/ヘンリー・フォンダ/メル・ファーラー

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『戦争と平和』
出演 オードリー・ヘプバーン/ヘンリー・フォンダ/メル・ファーラー/ヴィットリオ・ガスマン/
    ヴィットリオ・ガスマン/ハーバート・ロム/オスカー・ホモルカ/アニタ・エクバーグ 
 監督 キング・ヴィダー       音楽:ニーノ・ロータ
 
1956年のイタリアとアメリカの合作映画。上映時間208分。ロシアの文豪レオ・トルストイの不朽名作の大河歴史小説、19世紀前半のナポレオンによるロシア遠征とその失敗、アウステルリッツの戦いやボロディノの戦いなどの歴史的背景を精緻に描写しながら、1805年から1813年にかけてあるロシア貴族の興亡をピエール・ベズーホフとナターシャの恋と新しい時代への目覚めを点描しながら綴った作品、『戦争と平和』の映画化である。キング・ヴィダーが監督、オードリー・ヘプバーンとヘンリー・フォンダ、メル・ファーラーが主演した。完全にハリウッド的恋愛ドラマで、原作にはあまり忠実とは言えず、19世紀の帝政ロシアの末期、ロシアを巻き込んだ戦争を背景に、貴族の私生児ピエール(H・フォンダ)と伯爵令嬢ナターシャ(A・ヘプバーン)の恋愛劇を中心に描く。
 
19世紀初頭、帝政ロシアの物語。進歩的な青年ピエール(ヘンリー・フォンダ)はフランス革命精神の象徴としてナポレオンを尊敬し、仏軍モスクワ侵入の噂にも他のロシア国民ほど憎悪を感じられなかった。彼が親しくしているロストフ伯爵家では、長男ニコラス(J・ブレット)の出征に、伯爵(バリー・ジョーンズ)と伯爵夫人も沈んだ面持ちだが、出征はニコラスの恋人で財産を持たないソニヤ(M・ブリット)との仲を割くことにもなるので、夫人にはせめての慰めだった。ピエールの気に入りは娘のナターシャ(オードリー・ヘップバーン)。まだ女学生だが2人は兄妹のように仲が良い。ニコラスの出征を見送ったピエールは道楽者の友人ドロコフのパーティで乱チキ騒ぎ。ベズコフ伯爵の庶子である彼は、上流の人々とつき合えないのだった。だが無二の親友アンドレイ公爵(メル・ファーラー)の知らせで、危篤に陥った父の病床へ急ぐ。アンドレイは最近、妻リーゼ(ミリ・ヴィターレ)との仲が気まずく、早く戦場へ出たいと考えていた。遺言でピエールは広大な領域を受けついだが、臨終に立ち会ったクラーギン公爵は娘のヘレーネ(アニタ・エクバーグ)に彼を誘惑させようと思いつく。アンドレイは妊娠した妻を田舎の邸へ送り戦場へ赴く。厳格な父親はリーゼに気のつまる思いをさせ、内気な娘マリア(アンナ・マリア・フェレロ)は同情しつつ父への遠慮から沈黙を守っていた。ロシア軍は戦線に到着、ナターシャが将兵の奮戦ぶりを夢みている頃、ピエールはヘレーネとの結婚準備に忙殺されていた。アンドレイは総司令
官クツゾフ将軍(オスカー・ホモルカ)の幕僚としてチェコの小村アウステルリッツに出陣。結果は敗戦に終わり、ニコラスは辛うじて逃げ帰り、アンドレイは負傷する。休戦条約が結ばれ、将兵はモスクワへ戻る。リーゼはお産で死に、アンドレイは一変して気難しい人間になってきた。一方、派手好きのヘレーネはドロコフを誘惑、ピエールは決闘で彼を傷つけた上、妻と別れた。ピエールはナターシャの姿を見ることだけを慰めとしていたが彼女はアンドレイと愛し合うように
なった。だがアンドレイの父の反対で結婚出来ぬまま旅立つアンドレイを見送ったナターシャは、オペラでヘレーネの兄アナトール(ヴィットリオ・ガスマン)に言い寄られ、駆け落ちをすすめられる。ソニヤの知らせでピエールは彼を追い払うがアナトールを諦め得ないナターシャに、アンドレイは再び憂鬱な人間となる。休戦も終わり、ボロディノの決戦でアナトールは戦死、アンドレイは重傷を負い、今は自らの過ちを知って戦場に立ったピエールも負傷した。クツゾフの焦土戦術でロストフ家の人々もモスクワを去り、1人残ってナポレオンを刺そうとしたピエールも実行出来ぬまま仏軍の捕虜となる。アンドレイはナターシャに抱かれつつ絶命し、恋を諦めたソニヤの計らいでニコラスは、アンドレイの子供を引き取っていたマリアと結ばれる。獄中でピエールは信仰あつい農民プラトン(ジョン・ミルズ)を知る。ナポレオンのモスクワ撤退の際、プラトンは射殺されるがドロコフ指揮のコサック騎兵にピエールは救われた。11月も末、ナポレオンは完敗してパリへ逃げ戻った。モスクワに帰ったピエールの訪れた荒廃したロストフ邸では、いまは大人になったナターシャが彼を待っていた。THE END

金さん名画座・『硫黄島からの手紙』渡辺謙/二宮和也/伊原剛志/加瀬亮/中村獅童/渡辺広/坂東工/山口貴史

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『硫黄島からの手紙』
出演: 渡辺謙/二宮和也/伊原剛志/加瀬亮/中村獅童/渡辺広/坂東工/山口貴史/松崎悠希
監督 クリント・イーストウッド    音楽 カイル・イーストウッド/マイケル・スティーヴンス
 
2006年のアメリカ映画。『父親たちの星条旗』(Flags of Our Fathers)に続く、第二次世界大戦における硫黄島の戦いを日米双方の視点から描いた「硫黄島プロジェクト」の日本側視点の作品である。栗林忠道陸軍大将の手紙は、彼の手紙を後にまとめた『「玉砕総指揮官」の絵手紙』(栗林忠道・著 吉田津由子・編)に基づいている。2006年、東京都小笠原諸島硫黄島。地中から発見された数百通もの手紙。それは、61年前、この島で戦った男たちが、家族に宛てて書き残したものだった。届くことのなかった手紙に、彼らは何を託したのか。第64回ゴールデングローブ賞…最優秀外国語映画賞、 第79回アカデミー賞…音響編集賞を受賞。
 
2006年、硫黄島。地中から数百通もの手紙が発見された。それはかつてこの島で戦った男たちが家族に宛てて書き残したものだった……。戦況が悪化の一途を辿る1944年6月。陸軍中将・栗林忠道(渡辺謙)が硫黄島に指揮官としてやってきた。アメリカ留学の経験を持つ栗林の、常識に捉われないやり方は古参の将校たちの反発を呼ぶ。栗林の防衛戦略は、島中にトンネルを張り巡らし、地下要塞を作り上げるというものだった。1945年2月19日、ついにアメリカ軍が上陸する。戦いは36日間にも及ぶ激戦となった。徐々に退却を強いられていく日本軍。玉砕を求める部下に、栗林は最後まで戦いぬけと命令した。妻子を国に残してきたパン職人の西郷(二宮和也)は、憲兵隊のスパイかと疑っていた清水(加瀬亮)と共に、自決を命じる上官のもとから逃げ出した。実は清水は本国で問題を起こして憲兵隊を追放された男だった。やがて二人は軍人らしく玉砕を貫こうとする伊藤中尉(中村獅童)に出会い、処刑されそうになる。それを助けたのは他ならぬ栗林だった。しかし、やがて脱走した清水はアメリカ兵に殺されてしまう。状況は切迫し、伊藤を中心とした栗林に反発する者たちが勝手な行動を取り始めた。そんな中、栗林の数少ない理解者である西中佐(伊原剛志)も命を落としていく。進退窮まった栗林は、ついにアメリカ軍に最終攻撃をかけた。撃たれ、倒れていく兵士たち。激戦の中、栗林も瀕死の重傷を負う。そんな栗林のもとに西郷がやってきた。自分が死んだら埋めてくれと言い残し、自決する栗林。その遺体を埋めた西郷のまわりをアメリカ兵が取り囲む。そのうちのひとりが栗林の拳銃をベルトに挟んでいるのを見た時、西郷は突然狂ったようにシャベルを振り回し始めた。アメリカ兵に取り押さえられる西郷。激戦の数少ない生き残りとして担架に乗せられた西郷が見たのは硫黄島の海に沈む赤い夕陽だった。THE END

金さん川柳・「元気を出して」竹内まりや

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「元気を出して」  竹内まりや

 
 
◆菅古鳥 孤独に耐えて 盆を越し◆
 
◆いじめられ 泣き虫大臣 万里休す◆
 
◆栄誉賞 不名誉大臣 なでしこに◆
 
◆児童手当  子供の喧嘩を 国会で◆
 
◆鳩ポッポ 奮起するほど 糞害に◆
 
◆被災国 波高くして 円高し◆
 
◆新米の セシュウム汚染 心配に◆
 
◆盆休み ぼんやりしてたら 熱中症◆
 
 
(ねっちん様作)
 
★なでしこの  活躍学べず  菅邪パン★
 
★復興の  スピード菅なく  孤独菅★

金さん名画座・『人間の証明』岡田茉莉子/松田優作/ジョージ・ケネディ/ジョー山中

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ジョー山中さんのご冥福をお祈りいたします
 
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『人間の証明』
出演者 岡田茉莉子/松田優作/ジョージ・ケネディ/ジョー山中/岩城滉一/竹下景子/ハナ肇
監督 佐藤純彌         主題歌 ジョー山中「人間の証明のテーマ」 
 
 
1977年に公開の日本映画。森村誠一の長編推理小説の映画化。「犬神家の一族」に次ぐ角川春樹事務所製作第二作目。ジョー山中さんの歌った「人間の証明のテーマ」はヒット曲となった。東京・赤坂の高層ホテルの、展望レストラ
ンのある最上階に到着したエレベーター内で、胸部を刺されたまま乗り込んできた黒人青年が死亡した。事件は殺人事件と断定され、麹町署に捜査本部が設置される。捜査を担当することになった麹町署の棟居弘一良刑事らは、被害者の名前がジョニー・ヘイワードであり、彼をホテルまで乗せたタクシー運転手の証言から、車中でジョニーが「ストウハ」と謎の言葉を発していたことを突き止める。さらにタクシーの車内からは、ジョニーが忘れたと思われるボロボロになった『西條八十詩集』が発見されるが…。 
 
東洋的な風貌を頬に刻んだひとりの黒人青年が、ニューヨーク・バンクで六千ドルの大金を白人紳士から受け取り、みすぼらしいスラムをあとに、一路東京へと飛び発った。キスミーに行くという言葉を残して。東京ロイヤル・ホテルの42階で、人気絶頂の女流デザイナー八杉恭子のファッション・ショーが始まって間もないころ、エレベーターの中で、黒人が胸にナイフを突き刺し、西条八十詩集を抱いたままその場に倒れて死んでいた。男の名は、ジョニー・ヘイワード。麹町署に捜査本部を置き、警視庁の那須班の刑事たちは、エレベーター・ガールの証言から、ジョニーが死にぎわに口走った“ストウハ……”という言葉を最初の手がかりとして、捜査を開始した。棟居刑事とベテラン刑事横渡らは、現場近くの潜水公園を検証し、そこで古い麦わら帽子を発見した。ストウハ……、それはストロウ・ハット(麦わら帽子)のことなのか?--その夜、別の場所で車による轢殺事件が起きた。東洋技研の新見部長に、家の近くまで送られてきたホステスのなおみが車から降りて間もなく、別の方向から走ってきた車にはね飛ばされた。運転していた郡恭平は、女友達の路子と共に、なおみの死体を車に担ぎこみ、山林に埋めた。一方、なおみのことが気にかかり、彼女と別れた場所に戻った新見は、そこで血のにじんだ時計を見つける。それは息子の恭平に、八杉恭子が買い与えた物だった。ニューヨーク市誓の刑事ケン・シュフタンは、日本からの依頼で、ジョニーの身元捜査のため、彼のアパートを訪ね、そこでパーク・アベニューに住む、ライオネル・アダムスの名を記したメモを見つけた。アダムスの話によると、数カ月前、彼の車にぶつかってきたウィルシャー・ヘイワードという名の黒人に六千ドルを要求され、彼の息子のジョニーに支払ったという。一方、失踪した愛人のなおみを追っていた新見は、時計の持主が郡恭平であることをつきとめた。新見から依頼を受けた棟居と横渡が、郡家を訪れると、すでに恭平はニューヨークへ発ったあとである。恭平が事故を起こした事を知った恭子が、彼を国外へ逃がしたのであった。郡家からの帰途、おでん屋に立ち寄った棟居と横渡は、酔い痴れた客が、西条八十の詩の中の“霧積”と言葉を口ずさむのを耳にする。ジョニーが言った“キスミー”それは、もしかすると、この霧積のことではないのか? 早速その霧積へ飛んだ棟居と横渡は、この地に古くから住む中山たねという老婆が、昔、霧積にやって来た黒人の親子連れを見かけたことがあるという話を聞きこみ、そのたねのもとへ駈けつけたが、たねはその直前に殺されていた。棟居らは、たねのいとこよしのから、たねが終戦直後、横須賀でバーを開いていたこと、そしてその店で意外な女性が働いていたことを知った。中山たねが、昔見かけた黒人の親子連れというのは、この女と、ウィルシャー・ヘイワード、そしてジョニーのことではないだろうか。ウィルシャーが、わが身を犠牲にしてまで、息子を日本へ旅立たせた訳は、ジョニーを母に会わせるためだったのではないだろうか? そして、日本へやって来たジョニーと、この母との間に何かが起きた--棟居はいっきにニューヨークに飛び、25分署のケン・シュフタンとコンビを組んで、ジョニーの父親ウィルシャー・ヘイワードの捜査を開始したが、意外にも日本とアメリカの二人の刑事は、宿命的な絆によって結ばれていたのだ。戦後30年、さまざまな生き方をしてきた人々が、見えない一本の糸にからまれるように、深く関り合う。東京とニューヨークを結ぶこの捜査がすすむにつれ、事態の展開は、息をのむような新しい事実をほりおこし、また意外な事件を生んでゆく。THE END

金さん名画座・『地獄の黙示録』マーロン・ブランド/マーティン・シーン

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『地獄の黙示録』
出演 マーロン・ブランド/マーティン・シーン/ロバート・デュヴァル/デニス・ホッパー/ハリソン・フォード
監督 フランシス・フォード・コッポラ     音楽 カーマイン・コッポラ
 
1979年製作のアメリカ映画。映画の原案は1902年に出版されたジョゼフ・コンラッドの小説『闇の奥』である。当初は1970年代初頭に、同じ南カリフォルニア大学の映画学科に在籍していたジョージ・ルーカスとジョン・ミリアスが共同で進めていた企画であった。しかし当時はベトナム戦争が行われていた最中であり、その企画は通らなかった。のちにルーカスが権利をフランシス・コッポラに譲り渡した。最初の予算は(当時の日本円で約35億円)だったが、実際に掛かったのは(約90億円)だった。カンヌ国際映画祭で未完成のまま出品され、『ブリキの太鼓』と共に映画祭の最高賞に相当するパルム・ドールを獲得。アカデミー賞で作品賞を含む8部門でノミネートされ、そのうち撮影賞と音響賞を受賞した。ベトナム戦争中期。陸軍空挺士官のウィラード大尉は、妻と離婚してまで再び戦場に戻ってきた。彼はMACV-SOGの一員として、CIAによる敵要人暗殺の秘密作戦に従事してきた古参兵だった。その実績を買われ、サイゴンのホテルに滞在中、軍上層部に呼び出される。そこで彼は、元グリーンベレー隊長のカーツ大佐の暗殺指令を受ける。カーツは軍の命令を無視して暴走、カンボジアのジャングルの中に独立王国を築いていた。BGMのワーグナーの『ワルキューレの騎行』が印象的な作品でした。
 
狂うような暑さのサイゴンの夏。ブラインドの降りたホテルの一室で、ウィラード大尉(マーティン・シーン)は空ろな視線を天井に向けていた。505大隊、173空挺隊所属、特殊行動班員である彼に、それからまもなく、ナ・トランの情報指令本部への出頭命令が下った。本部では3人の男が彼を待ちうけており、そのうちの1人がウィラードに、今回の出頭目的を説明した。それは第5特殊部隊の作戦将校であるウォルター・E・カーツ(マーロン・ブランド)を殺せという命令だった。カーツはウェストポイント士官学校を主席で卒業し、空挺隊員として朝鮮戦争に参加、数々の叙勲歴を持つ軍部最高の人物であったが現地人部隊を組織するという目的でナン川上流の奥地に潜入してからは、彼の行動が軍では統制できない異常な方向へと進んでいった。情報によると彼はジャングルの奥地で原地人を支配し、軍とはまったく連絡を絶ち、自らの王国を築いている、というのだ。そのアメリカ軍の恥である錯乱者カーツを暗殺しなければならない、というのが軍の考えだった。この密命を受けた若い兵士ウィラードは、4人の部下、クリーン(ローレンス・フィッシュバーン)、ランス(サム・ボトムス)、シェフ(フレデリック・ホレスト)、チーフ(アルバート・ホール)を連れ、巡回艇PBRに乗り込んだ。まず、ウィラードは、危険区域通過の護衛を依頼すべく、空軍騎兵隊第一中隊にキルゴア中佐(ロバート・デュヴァル)を訪ねた。ナパーム弾の匂いの中で目覚めることに歓びさえ感じているキルゴアは、花形サーファーであるランスを見ると彼にサーフィンを強要した。ワーグナーの“ワルキューレの騎行"が鳴り響く中、キルゴアの号令で数千発のナパーム弾がベトコン村を襲った。キルゴアのもとを発った彼らは、カーツの王国へとPBRを進めた。河岸に上陸するたびにウィラードに手渡される現地部隊からの機密書には、カーツの詳細な履歴と全行動が記されており、読めば読む程ウィラードには、軍から聞いたのとは別の人物であるカーツが浮び上ってきていた。王国に近づいたころ、クリーンが死に、チーフも死んだ。そして、王国についた時、ウィラードはそこで、アメリカ人のカメラマン(デニス・ホッパー)に会い、彼から王国で、“神"と呼ばれているカーツの真の姿を聞かされる。カーツは狂人なのだろうか。それとも偉大な指導者なのだろうか。ウィラードにもわからなかった。そして遂にカーツとの対面の日がきた。テープレコーダーや本に囲まれたカーツの元にやってきたウィラードは、軍の命令に従い、“神"と呼ばれる人間カーツを殺すのだった。THE END

金さんテレビ・『シャボン玉ホリデー』ザ・ピーナッツ/ハナ肇とクレージーキャッツ

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『シャボン玉ホリデー』   ザ・ピーナツ
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『シャボン玉ホリデー』
出演 ザ・ピーナッツ/ハナ肇とクレージーキャッツ/なべおさみ/前田武彦/青島幸男
小松政夫/伊東ゆかり/中尾ミエ/園  まり/布施  明/スリーファンキーズ
 
1961年6月4日から1972年10月1日まで、日本テレビ系で毎週日曜18:30~19:00(JST)、1976年10月9日から1977年3月26日まで同局系で毎週土曜23:45~24:15(日曜日未明0:15)に放送されたバラエティ番組である。化粧石鹸メーカー・(牛乳石鹸)の一社提供。制作は日本テレビと渡辺プロダクション。渡辺プロが目下売り出し中の双子の女性デュオ・ザ・ピーナッツを主役に据えた音楽バラエティショーとして制作された。このため、この番組は当初司会者のザ・ピーナッツの冠番組『ピーナッツ・ホリデー』として放送することとなっていたが、牛乳石鹸側の意向もあり『シャボン玉ホリデー』という表題に変更となった。『牛乳石鹸提供・シャボン玉ホリデー!!』のタイトルコールに次いで、牛の鳴き声でオチとなるコントをやり、その後ザ・ピーナッツがテーマソングをシャボン玉の舞う中で歌い、毎回一つのあるテーマ(テーマ題の最後に「ピーナッツ!」というクレジットを入れた)に沿ってザ・ピーナッツ、ハナ肇とクレージーキャッツ、並びに毎回登場するゲストを交えて、コントや歌、トークなどを展開。特に植木等「お呼びでない…これまた失礼致しました」は番組を代表する伝説的なフレーズとして親しまれた。テーマでも伺えるとおり番組の主役はザ・ピーナッツであるが、実質的にはハナ肇とクレージーキャッツとのW主演となった。毎回ザ・ピーナッツが歌う「スターダスト」がエンディング・テーマ曲になっていた。 

金さんテレビ・『夜のヒットスタジオ』 前田武彦/芳村真理

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前田武彦さんのご冥福をお祈りいたします
 
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『夜のヒットスタジオ』
司会者 前田武彦/芳村真理/三波伸介/朝丘雪路/井上順/古舘伊知郎/柴俊夫/加賀まりこ 制作局 フジテレビ    演奏 豊岡豊とスイング・フェイス/ダン池田とニューブリード ほか
 
1968年11月4日から1990年10月3日まで、約22年間放送された。22年間で紹介された楽曲は概ね13,000曲、出演アーティストは1,000組。第1000回までは基本的に芳村真理を軸に男性パートナーが交代し、第1002回目からは古舘伊知郎を軸にパートナーが交代する形で司会者が変遷した。それまで視聴者にとって雲の上の存在だったスター歌手の人間性を引き出すことを当初のコンセプトとし、「ご対面」や「他人の歌オープニングメドレー」終了時まで続いた。そして「コンピュータ恋人選び」といったバラエティ色の強い企画も用意された。司会者が歌手たちと自然体でやり取りするというスタイルも異色であった。前田は自らを「あだ名の名人」と称して、必ず歌手やスタッフにあだ名を付けた(例:芳村真理→「ナマズのおばさん」、塚田茂→「ドンドンクジラ」、小林大輔→「モグラのお兄さん」等。前田自らも「カワウソおじさん」と称した)。芳村の司会振りはそれまでのテレビ番組の世界では置物的色彩の強かった女性司会者の概念を覆した。1969年2月24日の放送で小川知子、中村晃子、いしだあゆみが「ご対面」「コンピューター恋人選び」(因みに中村晃子がモルモットとして指名された回が「コンピューター恋人選び」の第1回目に当たる)のコーナーで相次いで号泣するハプニングが発生(「泣きの夜ヒット事件」)。スターが一人の人間として涙を流しながら必死で歌うシーンが話題となり、これを機に視聴率が急上昇し、1969年3月17日の放送では最高視聴率42.2%を記録。『夜ヒット』は当時高視聴率番組が少なかったフジテレビにあって貴重な「ドル箱」番組となった。1973年6月、前田武彦が参議院大阪選挙区補欠選挙に立候補した日本共産党の沓脱タケ子候補の応援演説の際に「生放送中に候補者が当選した際にはバンザイを必ずやりますから見ていてください」という旨の約束をし、その候補者が当選したことから『夜ヒット』のエンディング時にバンザイのポーズをしたところ、このことが「反共」を掲げていた鹿内信隆フジサンケイグループ議長の逆鱗に触れ、これが引き金となり、最終的に前田は同年9月をもって当番組の司会を勇退、他局の大半のレギュラーもこれと時同じくして降板の憂き目に遭った(「共産党バンザイ事件」)。
 
★初代:前田武彦・芳村真理 1968年11月4日〜1973年9月24日
→司会者なし(ゲスト司会による輪番制) 1973年10月1日〜1974年3月25日
★2代:芳村真理 ・三波伸介・朝丘雪路 1974年4月1日〜1975年3月31日
→芳村真理 ・三波伸介 1975年4月7日〜1976年3月29日
★3代:芳村真理・井上順 1976年4月5日〜1985年9月25日
★4代:芳村真理・古舘伊知郎 1985年10月2日〜1988年2月10日
★5代:古舘伊知郎・柴俊夫 1988年2月24日〜1989年9月27日
★6代:古舘伊知郎・加賀まりこ 1989年10月18日〜1990年10月3日

金さん川柳・お盆「精霊流し」グレープ(さだまさし)

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「精霊流し」 グレープ(さだまさし)
 
◆菅さんも いよいよ辞任を 菅念し◆
 
◆ポスト菅 名前あがれど 薮の中◆
 
◆盆の入り 藪入りすれば 蚊に刺され◆
 
◆大文字 蒔に松ったの 見送り火◆
 
◆天気予報 今日は何人 熱中症◆
 
◆灯籠が 点になるまで 想い馳せ◆ 
 
◆灯籠も わたしの川柳 徒労流し◆
 

金さんテレビ・『てなもんや三度笠』藤田まこと/白木みのる/香山武彦/財津一郎

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『てなもんや三度笠』
出演者 藤田まこと/白木みのる/香山武彦/財津一郎/原哲男/てんぷくトリオ/茶川一郎
制作局 朝日放送     演出 澤田隆治      脚本 香川登志緒
 
1962年(昭和37年)5月6日から1968年(昭和43年)3月31日まで朝日放送製作・TBS系列で放送されたテレビコメディ番組。全309回放送。殆どの時期が白黒放送だが、末期の1967年(昭和42年)第294話からはカラー放送になった。提供スポンサーは菓子メーカーの前田製菓一社提供。ABCホールでの公開放送形式による、時代劇風コメディ。スポンサーと引っかけた「俺がこんなに強いのも、あたり前田のクラッカー!」や、「非ッ常にキビシ~ッ!!」などの流行語も生まれた。あんかけの時次郎:藤田まこと(この番組が「出世作」となる) 三度笠をかぶり各地を放浪する渡世人。顔が長いところから、馬呼ばわりされた。珍念(ちんねん):白木みのる 第3話から登場、時次郎の相棒の小坊主。口が達者で小生意気。食べ物に目がない。時次郎が馬呼ばわりされるのに対し、珍念はイイダコ呼ばわりされていた。蛇口一角:財津一郎、浪人。舌を伸ばして、しつこく刀を舐め回す仕草が多いためヘビ呼ばわりされる。奇声を発し「キビシ~ッ!!」または「ちょ~だい!!」などの流行語を生み出す。 駒下駄茂兵衛:香山武彦、桁外れの大喰らいのために、相撲部屋を破門された取的。大坂へ帰る「てなもんやコンビ」と行動を共にし「てなもんやトリオ」となり「知恵は珍念、力は茂兵衛、顔の長いは時次郎」と、よく歌っていた。その他準レギュラー として、南利明、京唄子・鳳啓助、入川保則、山東昭子、横山やすし・西川きよし、茶川一郎、芦屋雁之助、芦屋小雁、トニー谷、堺駿二、ミヤコ蝶々、平参平,等が出演した。

金さん音楽・お盆休み「Jupiter」平原綾香

川柳「ポスト菅」・「ハナミズキ」一青窈

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「ハナミズキ」  一青窈
 
 
◆ポスト菅 ポストも恥じらう に染まり◆
 
◆泣き虫に 万里の頂上 険し過ぎ◆
 
◆野田財務 がま口開けば 税大連立◆
 
◆前原氏 御輿に乗るか 風見鶏◆
 
◆鹿野氏は 可能な限り 知名度を◆
 
◆馬渕氏の シュワちゃん気取りが 気持ワル~◆
 
◆樽床氏 底が抜ければ 党滅び◆
 
◆盆休み ぼんやりしてたら 忘れられ◆

金さんテレビ・『ジェスチャーと連想ゲーム』

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ジェスチャー/連想ゲーム
『ジェスチャー』
1953年2月20日から1968年3月25日までNHKで放送されたクイズ番組。テレビの特性を生かし、その草
創期を代表する番組であり、なおかつ、日本のテレビ史上初めてのクイズ番組でもある。東京千代田区内幸町に所在していた旧NHKホールからの30分番組で、柳家金語楼率いる白組(男性陣)と水の江滝子率いる紅組(女性陣)に分かれ、視聴者が応募した問題を解答者がジェスチャーのみで表し、それを時間内に当てていくゲームにより番組は進行した。10年にわたり司会を務めた小川宏アナウンサーも番組の顔だった。この手法は、日本テレビ「シャープ・スターアクション」に受け継がれる。複数のジェスチャーを組み合わせるための「・・・は置いといて、」(箱を動かすように両手を横に振る)というポーズが流行した。
司会
1代:青木一雄 - 1953,2~1954,5
2代:高橋圭三 - 1954,5~1955,3
3代:佐々木敏全 - 1955,4~9
4代:小川宏 - 1955,10~1965,3
5代:鈴木正和 - 1965,4~1966,3
6代:原善三郎 - 1966,4~1968,3
 
『連想ゲーム』
1969年(昭和44年)4月から1991年(平成3年)3月まで、NHK総合テレビで放送されていたクイズ番組
である。1968年4月8日に始まった『みんなの招待席』という番組の1コーナーから始まり、1969年4月5日に独立した番組として放送され、1991年3月20日まで22年続いた(MBS『アップダウンクイズ』と
タイ記録)。この番組は、最初の『みんなの招待席』の時代からカラー放送であった。
白組キャプテン
1代:加藤芳郎 
2代:小沢昭一
3代:加藤芳郎 (病気で不在の時は第1解答者だった三橋達也や渡辺文雄が代理を務めた)
赤組キャプテン
1代:中村メイコ - 1968年 - 1969年
2代:江利チエミ - 1969年 - 1970年
3代:天地総子 - 1970年 - 1979年
4代:水沢アキ - 1979年
5代:中田喜子 - 1979年 - 1988年
6代:藤田弓子 - 1988年 - 1991年
司会
1代:青木一雄…1968年4月 - 1969年3月
2代:野村泰治…1969年4月 - 1970年3月
3代:井上昌巳…1970年4月 - 1972年3月
3代:中江陽三…1972年4月 - 1974年3月
4代:加治  章…1974年4月 - 1978年3月
5代:川野一宇…1978年4月 - 1981年3月
6代:松平定知…1981年4月 - 1984年3月
7代:吉川精一…1984年4月 - 1987年3月
8代:佐藤充宏…1987年4月 - 1989年3月
9代:徳田  章…1989年4月 - 1991年3月 

金さんテレビ・『お笑い三人組』三遊亭小金馬/一龍齋貞鳳/江戸家猫八

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『お笑い三人組』
1955年11月から1960年3月までNHKでラジオ放送され、1956年11月から1966年3月までテレビ放送された公開バラエティコメディ。この番組は毎週火曜日に内幸町の旧NHKホール(渋谷にある現在のNHKホールとは別物)から生放送され、VTR導入後も最終回まで生放送を貫いた。 落語家・三遊亭小金馬(後に4代目三遊亭金馬を襲名)、講談師・一龍齋貞鳳(のち国会議員を一期務める)、ものまね・3代目江戸家猫八の3人に、楠トシエ、音羽美子、桜京美、武智豊子、渡辺篤がレギュラー出演した。物語の舞台は、あまから横丁に始まり、時代劇であまから長屋、役柄を変えてあまから横丁と、2度リニューアルされた。第3期では、「八ちゃん、おたまちゃん、うー」というギャグが大いに受け、エンディングでは三人が主題歌を歌い剽軽に踊りながら終わるのが定番であった。主題歌 「アハハウフフ 三人元気に顔出して、ニコニコニッコリ笑ったら、心はいつでも青空だ♪ どこからどこまで青空だ♪ アハハ ウフフ エヘヘの オホホで アハハのハ 僕らはお笑い三人組」また、ドラマの途中で、「あまから横丁はどこにある? それはあなたの胸の中♪」と女三人が歌う副主題歌も人気があった。
 
第1期「あまから横丁」
酒屋の金ちゃん…三遊亭小金馬(三遊亭金馬 (4代目))
保険外交員の今泉良夫さん…一龍齋貞鳳
パン屋の六さん…江戸家猫八 (3代目)
金ちゃんの妻…楠トシエ
良夫さんの妻…音羽美子
六さんの妻…桜京美
(?)…武智豊子
(?)…渡辺篤
第2期「時代劇・あまから長屋」
第3期「あまから横丁」
満腹ホール(ラーメン屋)の金ちゃん…三遊亭小金馬
ニコニコクレジット社員の正ちゃん(今泉正二)…一龍齋貞鳳
クリーニング屋の八ちゃん(八太郎)…江戸家猫八
金ちゃんの妹…音羽美子
正ちゃんの妻…桜京美
おたまちゃん(八ちゃんの恋人)…楠トシエ
おたまちゃんの母・おふで…武智豊子
クリーニング屋「峰松」の主人…渡辺篤

金さんテレビ・『ザ・ヒット・パレード』ザ・ピーナッツ/スマイリー小原とスカイライナーズ

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『ザ・ヒット・パレード』
1959年6月17日から1970年3月31日まで、フジテレビ系列で生放送された音楽番組である。1959年、当時の渡辺プロダクション社長の渡辺晋とフジテレビディレクターだった椙山浩一(すぎやまこういち、現・作曲家)が主導となり放送開始。後発テレビ局であり開局間もないフジテレビでは賄えない程のスケールであったが、渡辺プロダクションが制作費を肩代わりすることで乗り切っている。人気ロカビリー歌手だったミッキー・カーチスや長沢純の総合司会により毎週人気歌手が多数出演してステージを繰り広げる番組で、テレビが茶の間に浸透するきっかけを作ったことでも有名である。この他に司会は当時デビューしたばかりのザ・ピーナッツが務め、初期には「踊る指揮者」ことスマイリー小原が率いるスマイリー小原とスカイライナーズも毎週レギュラー出演し一躍スターダムにのし上がったことでも知られる。以後の『ミュージックフェア』『夜のヒットスタジオ』に代表されるフジテレビの音楽番組史の基礎を築いた番組であり、1970年3月まで10年半続いた。椙山作曲のメロディで知られるオープニングテーマ曲も有名となり、後に数々の替え歌が各所で使用された。この番組で組まれたフジテレビと渡辺プロダクションの共同制作枠はその後も『新春かくし芸大会』や『クイズ・ドレミファドン!』などの人気番組を次々と生み出し、現在放送中の『ウチくる!?』に至るまで引き継がれている。
 
初代:ミッキー・カーチス・芳村真理→ミッキー・カーチス(単独)(1959年6月~1959年9月)
2代目:ミッキー・カーチス・坂井メイ子(フジテレビアナウンサー)(1959年10月~1961年3月

3代目:ミッキー・カーチス・豊原ミツ子(当時フジテレビアナウンサー)(1961年4月~9月)
4代目:長沢純・豊原ミツ子(1961年10月~1966年3月)
5代目:尾藤イサオ・豊原ミツ子(1966年4月~1967年3月)
6代目:尾藤イサオ・木の実ナナ(1967年4月~1968年9月)→
         木の実ナナ(単独)(1968年10月~1969年2月)
7代目:堺正章・梓みちよ(1969年2月~9月)
8代目:布施明(単独)(1969年10月~1970年3月)

金さん川柳・「三日月」絢香

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「三日月」   絢香
  
◆菅辞任 一年三月で 菅了に◆
 
◆代表選 挙党一致は 選挙まで◆
 
◆小沢詣で 神社の境内 鳩が舞い◆
 
◆小沢支持 万里お任せ 海儡に◆
 
◆前原さん 後出しジャンケン グー・チョキ・パー◆
 
◆紳助さん 行列相談 〇暴に◆
 
◆芸能界 引退したなら 暇田紳助◆
 
 
(ねっちん様作)
 
★菅ちがい?  一人芝居を  自画自賛★
 
★小沢さん  急がば回る  シナリオか?★
 

金さんテレビ・『懐かしのバラエティ集』ゲバゲバ90分/11PM/野球拳/ウィークエンダー

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『懐かしのバラエティ集』
 
『巨泉・前武ゲバゲバ90分』
1969年10月7日 - 1970年3月31日及び1970年10月6日 - 1971年3月30日まで、日本テレビ系列で放送された人気バラエティ番組であった。放送作家出身の大橋巨泉・前田武彦が司会。生放送内での二人の掛け合いで番組が進行し、録画撮影によるナンセンスなショートコントをアイキャッチで挟んで矢継ぎ早につないでいく演出手法をとった。
『お笑いスター誕生』
1980年4月12日から1986年9月27日まで日本テレビ系列(一部地域除く)で放送されていた正統派のお笑いオーディション番組であった。
『テレビ三面記事・ウィークエンダー』
1975年4月5日から1984年5月26日にかけて日本テレビ系列局で毎週土曜日22:00 - 22:54に生放送されたワイドショー番組である。
『コント55号! 裏番組をブッ飛ばせ!!(野球拳)』
1969年4月27日から1970年3月29日まで日本テレビ系で放送されていたバラエティ番組である。 芸能人が野球拳を行う番組として知らた。
『11PM』
日本テレビと読売テレビの交互製作で1965年11月8日から1990年3月30日まで約24年半にわたって放送されていた日本の深夜番組であり、日本初の深夜のワイドショー番組でもある。
『金曜10時うわさのチャンネル』
1973年10月5日から1979年6月29日まで日本テレビ系列で、毎週金曜日 22:00 - 22:54に生放送されていたバラエティ番組である。出演は和田アキ子/ザ・デストロイヤー/せんだみつお/湯原昌幸/その他
『底抜け脱線ゲーム』
1963年6月2日から1973年1月25日までの約10年間にわたり、日本テレビで放映されたロート製薬単独提供のバラエティー番組である。日本テレビアナウンサーの金原二郎が司会を務め、著名タレント・俳優が毎週「底ぬけチーム」「脱線チーム」の2組に分けて対戦し、身体を張った様々な珍ゲームを楽しむというものであった。

金さんテレビ・『頓馬天狗』大村崑/芦屋雁之助/芦屋小雁

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『頓馬天狗』
出演者 大村崑/芦屋雁之助/芦屋小雁/左とん平/森山加代子/ルーキー新一
制作局 よみうりテレビ     脚本 花登筺     
     
 
1959年9月5日から1960年12月24日まで読売テレビ・日本テレビ系で放送されていた、大村崑主演のコメディタッチの時代劇である。大塚製薬一社提供。時代劇『鞍馬天狗』のパロディである。登場人物も近藤勇造(近藤勇)、土方大三(土方歳三)といった本家の名前をもじったもので、主人公に至っては「尾呂内南公」(『オロナイン軟膏』のもじり)と、スポンサーの商品名をそのまま名前に使っていた。決め台詞は「姓はオロナイン、名は軟膏」。
毎回毎回、大村崑扮する『頓馬天狗』の行く先々で敵役である近藤、土方が現れては、最後はあっけなく頓馬天狗に斬られてしまい、またそれの繰り返しという現代のバラエティ番組の主流といえるお約束のはしりとなった番組でもある。脚本・演出は花登筺が手がけ、出演者も大村崑以下、花登が率いる『劇団・笑いの王国』のメンバーが多数を占めていた。当時はVTRの規格が2インチで機器・テープ共に高価だったうえ、著作権法などの絡みで番組の資料保存が制約されていた事情もあり、YTVにはほとんど映像は現存しておらず、映像は主演の大村が個人所有しているテープが数本保存している程度である。この番組は生放送だったこともあり(というよりはこの時代はどの番組もこのやり方が主流だった)、様々なハプニングを生み出している。例えば、本番中にもかかわらず、ディレクターの怒号がそのままオンエアーされたり、殺陣の最中刀が外れたり等、日常茶飯事だった。また、生番組であるが故に、本番3日前に台本が仕上がり、放送当日の朝までリハーサルそして本番を迎えるというまさに地獄のような撮影スケジュールだったという。
1965年10月2日 - 1966年6月25日に、同じ読売テレビ・日本テレビ系の土曜19:00 - 19:30(前と同じ、提供も同じ大塚製薬)で、『009!!大あばれ、とんま天狗』という続編も放送された。
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